郡上八幡城の伝説

郡上八幡城に残る伝説をいくつかご紹介します。

力石伝説

力石伝説遠藤慶隆が八幡城復帰後に八幡城を改修した節に、城下吉田川から人夫が川原石を背負い上げたという。その中で剣村(現大和町)の通称赤髭作兵衛なる者が1m×75cm、約350kgの大石をひとりで背負い上げたという。普請奉行がその力量を深くほめたたえたとたんに彼はその場で倒れて息たえたという。普請奉行はこれを哀れんでこの石の使用を禁じたという。昭和8年に模擬城の建設にあたり放置されていたこの石を現在地(八幡城庭園内)に安置している。

 

およし物語

およし観音およし物語青山藩士羽生某の三女として生まれた羽生(後に山川) 某女の伝えとして次のような話がある。「私の母は郡上藩士青山家の分家青山某の二女で羽生家へ嫁いだものである。この母から子供時代の話に大和村牧(妙見)の羽生家に、当時一等の美人といわれたおよしという娘がおった。この娘が選ばれて八幡城を築く際に人柱として生き埋めにされたという話が残っている。八幡城本丸跡の石段の下でオヨシオヨシと言って手を叩くと泣くような声がするといわれ、私たちも子供の時、手を叩いたことがある」。こんな話がもとで「およし物語」が作られた。現在でも八幡城天守閣前には「およし観音」があり、およしの霊が祀られている。