凌霜150~郡上藩×明治維新~

今年2018年は戊辰戦争・明治維新より150年の節目の年となります。

全国各地で、明治維新に関連した事業が展開される予定です。

 

全国の藩が明治維新の動乱に翻弄されながら生き残りをかけて動いていた時代。

郡上藩には、国元と江戸藩邸で藩論が割れる中、「凌霜」の精神のもとに幕府への「義」を貫き、会津降伏まで戦い抜いた【凌霜隊】の歴史があります。

若干17歳の朝比奈茂吉を隊長として結成された45名の凌霜隊は会津を目指し関東・東北戦線を転戦し、鶴ヶ城(会津若松城)の籠城戦いでは、有名な白虎隊や大河ドラマにもなった山本八重らとともに戦いました。

 

郡上藩としては「新政府恭順」という方針で戊辰戦争に関わっていくため、凌霜隊の派遣については、藩の生き残り政策の中で結成されたという「二股論(幕府側・新政府側どちらに転んでも対応できるように)」が長いこと伝えられていたこともあり、地元 郡上でも凌霜隊に対してマイナスイメージを持っている方も多くいらっしゃいます。

しかし、実際は国元と江戸での藩論の違いの中で、江戸藩邸の藩士たちが幕府への義を貫くために結成し、定府家老(江戸住み家老)の判断のもと派遣された部隊です。

霜を凌いで力強く咲く菊の花のような<強固な操の精神>を意味する「凌霜(りょうそう)」は、郡上藩 青山家の家紋「葉菊紋(菊の御紋を葉が護る)」が由来と言われ、幕府への忠義だけでなく、「真の勤皇」という意思を持って、新政府と戦い続けた凌霜隊士。

 

今年は彼らの歴史にもう一度光を照らしていきたいと思います。