凌霜隊の足跡を辿る~塩原・会津若松~
150年前の戊辰戦争で、青山家の家紋”葉菊紋”のもと「真の勤皇」を掲げ、幕府への「義」を貫いた郡上藩 凌霜隊(りょうそうたい)の足跡を辿って、栃木県の那須塩原温泉と、福島県の会津若松を訪問してきました。
当時の郡上藩では、国元(郡上)と江戸藩邸で 薩長につくか?佐幕か?と藩論が割れる中、江戸藩邸で結成された「凌霜隊」は、江戸無血開城の前夜に江戸を出立し、会津を目指しました。
弱冠17歳の朝比奈茂吉を隊長に45名からなる凌霜隊は、新政府軍との戦闘を繰り返しながら、会津西街道を北上しました。
会津藩に正式に属した凌霜隊は、塩原の駐留などを経て、会津戦争の重要局面「鶴ヶ城の籠城戦」では、日向内記の指揮する白虎隊と共に西出丸の守備を担当し、最後まで戦い抜きました。
そういった経緯から、会津 白虎隊の聖地・飯盛山には、【郡上藩 凌霜隊の碑】が建てられています。
(昭和59年に、郡上八幡ライオンズクラブや会津磐梯ライオンズクラブのご尽力で建立)
まだまだ広く知られていない「凌霜隊」の歴史物語。 一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
●こちらに凌霜隊の概要をまとめておりますので、ぜひご覧ください!(クラウドファンディング「凌霜150プロジェクト」)
⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/83532